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文献をもとに調べてまとめた人がなぜ魔にひかれるのかについて

chikyuu

ここでは、ホロスコープを知る以前に、私が文献をもとに調べてまとめた、人がなぜ『魔』にひかれるのかについて記事にしています。どうして魔術的なものを人は手に負えない物として扱うのでしょうか。卒業制作に付随した論文のためにまとめた内容をここで記事にしています。ちょっと不思議で神智学的な話です(※)。

魔のはじまり

「邪悪の始原は、世界の創世以前、あるいは同時期といわれる。この時、私達人類の原型を誘惑し、宿命を背負わせた力があったことは確かである。人類最初の男と女は、聖書の言葉によれば、アダムとイヴであった。」(p.65「悪魔学入門」)

今でも人類の始まりの言い伝えとして信じられているアダムとイヴの物語には、悪魔が登場します。アダムとイヴは、知恵の木の実(=リンゴ)を食べる事によって楽園を追放され地上へ落とされてしまいますが、このリンゴを食べるように誘惑したのは蛇の姿で登場する悪魔です。『魔』は、このリンゴで人を誘惑する悪魔の中に存在します。

魔の最も古い登場は、この人類のはじまりと伝えられいる伝承の中にすでにありました。しかしながら、この魔は人類の創造以前からすでにそこに存在していたのですから、その起源はもっと前を辿らなければいけません。

「明けの明星よ、お前は天から落ちた。お前は地に投げ落とされた・・・」(イザヤ書)

「巨大な龍、年を経た蛇、悪魔やサタンのなで呼ばれる者、この人類を惑わす者は地に投げ落とされた・・・」「自らの領分を守らずに、その住まいを捨ててしまった天使たち」(ヨハネ黙示録)

明けの明星とは、金星のことですが、金星はラテン語でルシファーと言います。ルシファーは悪魔になった天使(悪魔になる前の天使という意味であった可能性も高い)を意味しています。伝説によれば、堕天使、すなわちルシファーとはもともとは天使のひとりでした。神に最も近いとみなされた、力ある天使でした。ですが、その力を誇るあまり、自らを過信し天に闘いを挑みます。そして、ルシファーは天から地へと投げ落とされ、悪魔になったのです。

これが、人類のはじまり以前に伝えられている魔の最も古い原点です。

アダムとイヴには他にも言い伝えがあるのを知っているでしょうか。アダムにはイヴの前に妻がいたと言われています。それがリリスで、イヴがアダムの助骨から作られたのに対し、リリスはアダムと同様に、神によって作られたとされています。アダムとリリスは折が合わず、リリスは海の末端に去っていきました。そこでルシファーと出会い、たくさんのリリム(悪魔)を産み出したとされています。とても人間的でコミカルささえ感じる言い伝えです。

リンゴというモチーフ

リンゴで知られている伝承としてギリシャ神話で有名な「パリスの審判」があります。物語は、神々が集まる結婚式から追い出されてしまった神、エリスによって、「最も美しい女神に渡す」という名目で投げ入れられた、黄金のリンゴが発端となります。この黄金のリンゴをめぐって、三美神アフロディテ、ジューノ、ミネルヴァが争い、パリスに審判をゆだねるのですが、それがトロイア戦争の原因となったとされています。この事から、エリスは、不和と争いの女神とも言われていますが、権力に問題を突きつけ、物事を天秤にかけ明白にさらしたという見解もあります。そんなエリスによって使われたものは、一見甘い果実の、リンゴです。アダムとイヴの物語にかけあわせて、意図的に使われたのだと考えられますが、こちらもとても人間的な話です。エリスは結婚式に唯一よんでもらえなかったのですから。

カール・ユングの言葉から考察する

悪魔に関する精神分析学的な考察を極限まで推し進めた人物にカール・ユングがいます。

「1933年の『魂を求める現代人』の中で、彼(=カール・ユング)は、神と悪魔が、同じひとつのメダルの表裏を成していると宣言している。これらは単なる比喩以上のもので、なぜなら、二つの「元型」は人間の行動の源泉たる欲動(人間を行動に駆り立てる、衝動的、無意識的な力)のイメージと成り得ているからである。この意味では、悪魔という神話は本当に実在している。いかなる文明にあっても、悪魔は、蛇やドラゴンというイメージの下に、恐怖や叛乱といった反応を凝縮していると同時に、禁断の実を前にしたときの欲求をも体現している。ある意味でユングは、その「元型」という概念によって、古の闘争神話、言い換えれば、われわれ個々の人の内部で善悪の力が対峙しているという構図を、再発見しているのである。」(p.181「悪魔の文化史」)

魔とは、私達人間の本質として必要不可欠な要素であり、根源的なものと言えるのではないでしょうか。その原点として残っている神話も、聞く人の想像力を高め、好奇心を煽らせてしまうのは、私達の心の中に根源的に存在する魔の部分に響き惹かれてしまう、私達の中に存在しているからこそ眼をそらしてしまうのではないでしょうか。それが強い力で魅了するがために。

これからの魔について考える

こんな文章があります。

「現代の神学者たちが、怪しげな棚においやってしまった悪魔は、新たな二重のキャリアを歩み始めたように思われる。つまり、人文科学の内部と、商業的な流通経路の双方において、新しい道を歩み始めたのだ。そのいずれにおいても、悪魔は、伝統的な概念の一切合切をいつでも再生・利用しつつ、それらを、まったく新しい外装のもとに再び売りこなしていけるだろう。」(p.183「悪魔の文化史」)

魔とは、人間の根源に存在しているものであり、時代とともにこれからもいくらでも変容を続け、新たな意味をこなしていきます。古代から続く魔は、人の中から生まれ人を強い力で魅了する、変幻自在な観念そのものでした。時代によっては政治的な利用もありますが、それさえ人がつくりだした人工の話なのです。

7つの大罪というものがあります。人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことで、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲を指します。これらは魔をかみくだいたようなものですが、これらを満たそうとする行動によって大きな経済力が生み出される現実があります。

幻想的で、誘惑的で、時にコミカルで少し切ないような、決してマイナスのイメージで終わらない魔がある気がしています。どんな人の心にも存在し、見ようとすれば見えてくる、見ようとしなければ見えない、私達にそんな距離を保った不可思議な観念・力であり、決して悪いばかりではない、制すればより強い力さえ見出せる魔がある、そんなイメージが描けます。

※神智学とは・・・ 全ての宗教、思想、哲学、科学、芸術などの根底にある一つの普遍的な真理を追求することを目指した神秘主義、密教、秘教的な思想哲学体系である。


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